Great  Principal

終   章 ・ 夜 空 の 星

 



1ヶ月の療養生活を終えたあと、退院したダンは校長職を辞任し、後継にジェーン・オースティンを立てた。
そして、ダン自身は約半世紀に及んだ教職者としての立場から完全に身を引いたのである。

その後、ロバートとの打ち合わせで2回だけ彼と会ったが、いずれも体調を心配したロバートがテキサスまで駆けつけてくれた。
ダンは目的を果たすため、おぼつかない足取りで杖をつきながら必死に各役所を転々と歩き回った。一度は路上に倒れたが、自力で這い上がった。
そして、残された最後の力を振りしぼり、すべての手続きを終えたのだった。

それからは、自宅に篭もりがちになり、世間から孤立して、静かな生活を送っていた。
たまに電話で語る相手といえば、オースティンくらいのものだった。しかし、以前のふたりのように話は噛み合わなかった。

ダンは処方箋のない一種の心臓病を抱えていた。
オースティンからは幾度となく、入院を勧められていたが自由のきかない病院に戻るのは苦痛だった。

5月10日、夜8時すぎ。
ダンの自宅に1本の電話が鳴り響いた。
病床から身を起こしたダンは、受話器をわしづかむように取った。

「 ダン先生、夜分恐れ入ります。ロバートです。このたびは先生のお陰で何とか経営再建の目途が立ちました。ほんとうに先生には感謝してもしきれません。有難う御座いました」

「 いやいや。わざわざお礼なんていいんだよ。ところで例の件はどうなったかね?」

「 はい。それもお伝えしたいと思ってお電話をしました。本日の夕刻、特待生合格通知書をトーバート家に発送いたしました。ですから、遅くとも2日後には到着するでしょう。おうちで大喜びする光景が、まぶたに浮かんできますよ」

「 おお~、そうか、そうか!!! 有難う。これでやっとわしも債務を返済できるかも知れんよ。ほんとうに有難う!」

「 先生、何をおっしゃいますか! お礼を申し上げるのは、わたしのほうですよ。それとダン先生。当校へ頂いた寄附金は、公の話ですので、有難く頂戴いたしますが、それ以外の紙幣についてはお気持ちだけを頂戴し、先生に返金したいのですが」

「 君、何を言っとるかね? それはお世話になったお礼とジェシカちゃんの授業料だよ。返金はならん。かならず受け取ってくれ」

「 わかりました。では先生とのお約束どおり、必ずハリウッドのデビューまで責任を持ってやらせていただきます。自慢じゃありませんが、ぼくはハリウッドに顔も利きます。何卒、ご安心ください。ただ、デビュー後については視聴者の需要によります。あとスポンサーも絡んできますからぼくの力ではどうにもなりません」

「 もちろんだよ。デビューまで確約してくれれば、それでよい。それと試験の結果はどうだったのかね?」

「 正直言って、演技力試験だけが合格ラインに達していませんでした。でも、あれだけの美貌とスタイルです。先生からお聞きはしていましたが、実際にお嬢さんを見てビックリしましたよ。あの娘さんなら、2年後にハリウッドのT氏に話を持っていくのも苦じゃありません」

「 なるほど。君の話を聞いて安心したよ。ロスまで行った甲斐があったというもんだ」

「 あと、筆記を除くすべての試験に立会いましたが、あの子なら特待生という立場でも誰もが納得するでしょう」

「 今夜はいいニュースを有難う。これからも何かあったら、電話してくれんか? わしはあの子のデビューだけが楽しみなんだ」

「 わかりました。しかし、先生。ご自分の名前すら伏せて、ここまで縁の下をお引き受けになった背景は一体、なんですか?」

「 ロバート君、それは聞かないでくれ。とにかくあの子を仕込んで、かならずハリウッドに送り込んでやって欲しい」

「 わかりました。そこまでなら確約できます。ダン先生もあまりご無理をなさらず、どうかお元気で」


ダンは深く安堵した。


彼の父が購入した土地は、現在はダン名義となっており、その時価評価額は取得価額の10倍以上に吊り上がっていた。
ダンはその土地を売却し、ロス・アクティング・カレッジに全額を寄附したのである。

これによってカレッジは、銀行借入金をすべて返済し、無借金経営となった。
またダンは大学側が新制度を導入し、ジェシカを特待生として迎えるべく、鉄の約束を取りつけていた。

さらに退職金の全額を前借りしてまで、ジェシカの入学金と学費や授業料に充てていたのである。

そして、銀行に痕跡を残さないよう寄附金を除くすべてのマネーは、現金でロバートに手渡していた。
これらを受けたロバートからすると、まったく信じられないダンの行動であった。



その後、ダンは病魔にうなされる日々を送った。
すでにダンの老体は癌にも蝕まれ、人体の各部に転移していたのである。


ある深夜のこと。

睡眠中に突然、心臓発作を起こしたダンはベッドの上で多量に吐血し、長い時間、もがき苦しんでいた。
一度は自力で何とか身を起こしたが、もはや余力は残されていなかった。

再び、ベッドに倒れ込んだダンは、そのまま身動きも取れなくなった。


1981年5月29日。午前2時13分。

エドウィン・ダンは、誰にも看取られることなく、深い暗闇と孤独の中で静かに息を引き取った。


翌日。連絡が取れないのを不審に思ったオースティンがダンのもとに駆けつけたとき、すでに死後11時間が経過していた。

ダンの右手には、アン・トーバートからの手紙が握られていた。



ちょうどその頃、トーバート家ではジェシカの合格を祝って、盛大な祝賀パーティが催されていた。
親族をはじめ、彼女のクラス担任やお友だちなど、総勢30人がジェシカの合格祝に駆けつけていたのである。

「 ママ。わたし、今でも信じられないわ。どうしてわたしだけが特待生なの? ほんとうに不思議な気持ちだわ」

「 ジェシカ、何を言ってるのよ。それがあなたの実力なのよ。わたしの分まで頑張って」


そこに父親のマイケルが言った。


「 ジェシカ、ママの言うとおりだよ。あと一言つけ加えるなら、きっと神の恵みもあったんだよ」

「 えぇ~、パパって神様を信じるの? もしほんとうにいるなら、わたし、天国にいる神様に感謝したいわ」



この2年後。ジェシカは念願のハリウッドデビューを果たした。

その後、映画やドラマ、CMからトーク番組まで「引っ張りだこ」の名女優へと成長していった。




女優ジェシカ・トーバートが、ロバートから陰の立役者を知らされたのは、ダンが逝去してから30年後のことだった。


                                                         【終】

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