Laura's adolescence
The Introvert

 永遠のローラ



さらに数ヶ月が過ぎた。

わたしたちの生活はさしたる変化もなく、平凡だが幸福な日々を送っていた。
ローラはもうすっかり大人っぽくなって、わたしは近いうちにこの小さな鳥かごから飛び立つ日がくるだろうと予感していた。

その後、わたしのハレンチなお仕置きは、ローラがハイスクールを卒業するまでに二回ほど膝の上にのせただけだった。
最近では、どうもわたしのほうが娘に遠慮するようになってしまったのだ。

実の父親ならともかく、わたしの眼には娘の美しいお尻があまりにもエロチックに思えてきて、この行為を続けることが望ましくないと感じるようになったからだ。
それに今ではローラも、思春期の頃のようにわたしのお仕置きを望んではいなかったのだ。

普通の男なら、ここで一歩踏み込んで、大人になったローラをいずれ自分のものにしたいと考えるのだろう。
しかし、わたしはもともとそういう関係は望んでいなかったし、真にローラの幸福を願うなら、わたしのような男は論外だった。


あるさわやかな晩秋の日。

ローラは何やらあわてて身支度を整えていた。

「パパ、あたし、二日間友だちの家に泊まるからどうか心配しないで」

「またかい? ちゃんと帰ってくるんだよ。ここがおまえの家なんだから」

「・・はい。でも、そういえば、パパにおしおきされなくなったわ。どうして? あたしをもう大人の女として認めてくれたの?」

「いや、まだまだ子供だよ。二日経って帰ってこなかったら、家には入れないよ。近くの公園でお尻をたたいてやるからね」

「そんなのいやだわ。とにかく遅れちゃうから、行ってきます」

ローラはほかにも何か言いたい様子だったが、時計をみると慌てて出かけていった。


その後、ローラは二日経っても帰ってこなかった。

わたしは久しぶりに娘を厳しく罰するつもりで、玄関に椅子を横向きに置くと、ローラの帰宅を待ち構えていた。
帰ってきたら、すぐにわたしの膝の上にのせる体勢を整えていたのだ。

しかし、ローラは一週間が過ぎても戻らなかった。
そればかりか彼女からは何の連絡もなく、私はロ−ラが事件や事故にでも巻き込まれたのではないかと思い、心配で夜も眠れなかった。

捜索願を出そうと考えていたとき、一通の手紙がわたしのもとに届いた。

それはローラからだった。


(パパ、ごめんなさい。何度か相談しようと思ったけど、やっぱり言い出せませんでした)

(わたし、二年前から付きあっている彼氏がいて、その人と一緒に暮らすことにします)

(パパには、十三歳のときから大事に育ててもらって、ほんとうに感謝しています)

(心配をかけて御免なさい。でも連絡先はどうか勘弁してください。とても悪いと思ってます)

(パパにはよく叱られて、たくさんお尻をたたかれたけど、お陰様でこんなに大きくなりました)

(これからもパパが、末永く健康でいらっしゃることをお祈りいたします。五年間、ほんとうに有難うございました)


二十枚に及ぶ手紙には、このほかにもいろいろな思いや、五年間の懐古話が綴られていた。

わたしはこの手紙を読んだとき、かなりのショックを受けた。
しかし、怒りのほうはまったくなく、むしろ安堵した。
 ローラがどこかで無事に生活しているとわかっただけで十分だった。

それにしても、わたしから去っていくのは予感していたものの、こんなに早く飛び立ってしまうとは思ってもみなかった。


手紙のなかには、少しだけではあるが、わたしのお仕置きのことも恥ずかしそうに綴られていた。

ビデオを見たあと、好奇心でいたずらしたことや、体が大きくなってからはお仕置きがつらかったことなども書かれていた。

ひょっとすると、わたしのほうが尻をたたいて彼女を追い出してしまったのかも知れない。

わたしはローラを追いかけるつもりはなかったし、とにかく彼女が幸福な人生を歩んでくれることだけを願っていた。

そして五年間、何の取り柄もないわたしに素晴らしい楽しみを与えてくれたローラに、わたしのほうこそ深く感謝していた。



再び、家の中は閑散として静かになった。 そして、長く寒い冬がやってきた。
瞼を閉じると、わたしの小さな棲家に迎え入れた頃の、かわいいローラの姿ばかりが甦ってきた。


それから十年の歳月が流れた。

わたしは、地味で平凡だが、至って満足な日々を過ごしている。
ローラとの生活は刺激的で楽しかったが、心配事や気遣いのほうも結構、多かったのだ。

よくよく考えてみると、これが変人に相応しい本来の生活だと思う。

ローラも今では二十八歳になっている。
女の盛りはまだまだこれからだが、わたしの性癖の対象からは大きく外れてしまった。



最近、時間の無常を感じるようになってきた。


時間は周りの環境を変え、人の姿や心の様相までも変えてしまうからだ。


しかし、時間に支配されず、環境を変えないものがひとつある。

ビデオはその出演者たちに永遠の若さを保障し、当時の情景を変えることもない。

また、ときには自分が主人公にさえなり得るのだ。


内向的な人間には、それなりの楽しみ方があるのだ。


わたしは今、五年間に渡って覗き窓から収録した『ローラとわたし』と題する自作のビデオを観ながら、独りで愉しんでいる。

 【おわり】


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