Great Principal
第十章 ・ ダンの代償 |
ロス・アクティング・カレッジ。
ここは、ハリウッドなど一流の俳優や映画スターを目指す若者たちが、トークや演技力などの訓練を行う短期大学だった。
ハリウッドへのデビュー率は非常に高く、ほかのすべての学校の中で群を抜いていた。それだけに真剣に俳優を志望する若者たちには憧れのカレッジだった。しかし、一方で入学金がきわめて高く、授業料も高額だったため、入学を断念せざるを得ない若者も多かった。
ダンは、オースティンにはあえて言わなかったが、この学校の経営者であるロバート・ブラウンは自分のかつての教え子だった。
演劇部に所属し、クラブの部長を務め、成績も優秀だったが、ある事件がきっかけで退学寸前にまで追い込まれた。
その崖っぷちから彼を救ったのが、当時のダン教諭だったのである。
そんなこともあって、彼は卒業後も新年にはダンに賀状を送っていた。
それから35年。年に一度のことだが、師弟たちはお互いに賀状を送り続けていたのである。
賀状の裏には、彼の住所や電話番号も記されていた。
ダンは2、3日の間、熟慮を重ねた末にかつての教え子であるロバートに電話をかけた。
「 ロバート君。久しぶりだな。わしだよ。ダンだよ。憶えてくれているかね?」
「 いゃ~ダン先生! お久しぶりです。憶えているって? 当たり前ですよ。先生はぼくの救世主ですからね」
「 どうかね、元気でやっとるかね?」
「 元気ですよ。先生もお声を聞いた限り、お元気そうで何よりです」
「 ところで、久しぶりなのに早速で申し訳ないのだがね。一度、君に会ってお話したいことがあるんだよ」
「 もちろん、いいですよ。ただ、ぼくは今は忙しくて、テキサスに飛ぶのは少し先になりますが、それでも宜しければ」
「 いやいや。わしからお願いしていることだから、わしからロスに行くよ。ちょっとだけ話を聞いてくれんか?」
「 わかりました。でも・・ぼくから出向くのが常識だと思いますが。相変わらず先生は、腰が低くて謙虚なお方です」
「 少しだけ時間を取ってくれんかね? わしから君にお願いしたいことがあるんだよ」
この一週間後。
ふたりは、ロサンゼルス郊外にあるジャズ喫茶で35年ぶりの再会を果たした。
ジャズといっても、ピアノオンリーのため店内は静かだった。客も少なく、話をするのには最適の場所だった。
またダンの音楽の好みを憶えていたロバートが、わざわざ念入りに下見までして選んだジャズ喫茶であったのだ。
ダンはこの一週間、戦略を練っていた。
たとえ教え子とはいえ、今は50代の経営者である。ロバートに不利益のないよう、むしろ恩恵をもたらす話を用意していた。
着席するなり、ダンはロバートに熱く訴えた。できるだけ正直に自分の気持ちをそのまま彼に伝えた。
ふたりの会話は半日にも及び、珈琲のおかわりは3杯にもなった。
「 ダン先生。入学金や授業料が高いばかりに、それが多くの素質ある若者たちのチャンスを喪失している現実はわたしも理解しております。ただ、当校から生徒たちをハリウッドへ輩出するためには多額の設備投資が不可欠なのです。経費もケチっていては教育することもできません」
「 なるほど。そこのところはわしのような素人には、なかなか見えない部分だよ」
「 実は、当校は抜群のデビュー率を誇っている反面、資金繰りが厳しく、銀行から多額の借入金を受けております。しかも、その金利でまた経営が苦しめられているのが現状です。当校の有利子負債は名目上は運転資金になっていますが、実状では殆どが設備資金です。先程も申し上げましたが、最新の設備を導入し、必要経費はどんどん支出しないと優秀な生徒は育ちません。でも一方で経営は火の車なんです。だからわたしの家計も火の車なんですよ」
「 実を申すとな。君に隠していて悪かったんだが、与信管理会社から貴校の財務諸表を見せてもらったんだ。何故、こんなに財務体質が悪いのかと疑問に思っていたんだよ。これで入学金や授業料でも賄いきれないという現況がなんとなくわかったよ」
「 先生は相変わらず、お目が高いですね。悲しいことにそれが現実なんですよ。でもそんなことは公には出来ませんし。恐らく当校を志望している若者をご子息に持つ親御さんたちは、ぼくがぼったくりの経営者というくらいにしか見ていないでしょう。実際には、いまでは銀行からも貸し渋りをされていましてね。惨憺たる状況です。あとどれだけ、ぼくのカレッジが持つことやら」
「 わかったよ。ここはわしが何とかしよう。どれだけ経営資金に寄与できるかわからんが、わしに任せてくれ」
このあと、ダンは予め用意していたネタをロバートに具体的に提供した。その見返りに自分の切実な願いも真摯に伝えた。
そして、最後にはロバートは首を縦に振ったのである。それどころか、むしろダンに深く感謝していた。
さらに時間が経過し、航空機の離陸時間が迫っていた。ロバートは予定通り、空港までダンを車で見送ることにした。
そのあと、車内でもまだふたりの会話は続いていた。
「 先生、今日の話ですが、ほんとうにそれで良いのでしょうか? ぼくはまたまた先生のお世話になってしまいます」
「 構わん、構わん。わしも先はそんな長くない。それに君も知ってのとおり、わしは何の趣味もない男だ。所有している資産を塩漬けにするより、もっと有効活用したほうがよいと思ってな」
その後。すっかり疲労したダンは、おぼつかない足取りでなんとか自宅まで到着した。
しかし、その直後に玄関で倒れ込み、多量に吐血した。
救急車で病院に運ばれたダンは、診断の結果、急性心不全のため緊急入院することとなった。
そして医師から2週間の絶対安静が言い渡された。しかし、ダンは2日目には医師の指示に背いて公衆電話からロバートに電話をかけ、入院した事実と喫茶店での会話を念押しする有様だった。
それから数か月が過ぎた。
トーバート家では、さしたる変化もないまま、親子3人が平穏な日々を送っていた。
ある夜のこと。夫のマイケルが妻のアンをリビングルームに呼び出していた。
「 アン、俺は思うんだが、仮にあのカレッジに合格してもだ。うちの家計では入学金までは払えても、そのあと授業料を払う余裕なんてないぞ」
「 だから、共稼ぎで頑張っているんじゃないですか! まぁ、それよりも先にあなたに見せたいものがあるのよ」
アンは、ロス・アクティング・カレッジから送付されてきたパンフレットと案内書を夫の前に差し出した。
「 前に資料請求をしたときは入学案内が送られてきただけだったのよ。それが3ヶ月ほど経ってからこれが届いたんだけど、開けてみてビックリ。この秋から新たに「給付型の特待生制度」が導入されるんだって。その内容を読んだら入学金も授業料もすべて免除になるのよ」
「 おいおい。そんなうまい話がある訳ないだろ。もし、ほんとうだとしても余程優秀で1人か2人しか適用されない制度だろうよ」
「 たしかにその通りよ。でも、不思議なのよね~、なんでも事務局の責任者を名乗る方から、新制度に応募されてみては如何ですかって、わざわざ電話がかかってきたのよ。それも2回もよ」
「 なんだって!! それはどうも胡散くさいな。もうやめたほうがいいんじゃないか?」
「 あなた、何を言ってるの! ジェシカの夢をこわすおつもり? やってみて駄目なら、諦めがつくけど、やらずに諦めると一生、後悔させることになるわ。ちょうどわたしみたいに」
「 わかったよ。もうお前に任せる。またテキサスにいた頃のようなドジを踏まなければいいが」
「 あなたって本当にしょうもない男だわ。何故、そんなに消極的なの? 積極的なのは若い女性に対してだけ? とにかくわたしは、もうジェシカと話し合って、この制度で受験することに決めましたから」
マイケルはアンの言葉に不機嫌になり、席を立って、リビングルームから出て行ってしまった。
さらに数週間が過ぎた。
1981年5月1日。いよいよロス・アクティング・カレッジの入学試験日の朝がやってきた。
ジェシカは激励する母親に見送られ、自宅を出発した。そして緊張した面持ちで試験会場に向かった。
試験内容は5項目で集団トークに始まり、筆記試験、演技力試験、水着審査(女子のみ)、そして最後が個別面談だった。
この中で筆記を除くすべてを見届けたロバートは、多数の第三者の目からみた「ある情況」を想像し、深く安堵した。
一方、ジェシカは緊張の余り、演技力試験で自分の力を十分に発揮できなかったことを悔やんでいた。
そして、半日に及んだ過酷な試験を終えたジェシカは、すっかり疲労し自宅に辿り着くなり、自分の部屋で寝込んでしまった。
その夜。
今日一日を静観するつもりでいた母親のアンだが、ついには我慢できずジェシカに語りかけた。
「 ジェシカ、今日の試験の出来映えはどうだったの? 手ごたえはあったの?」
「 それがママ、演技力試験で緊張してしまって。多分、だめかも知れないわ」
「 だめでもいいのよ。チャレンジしたんだから。ママはね、何もせずに悔いだけが残ったの。あなたはよくやったわ」
そう言いながら、アンはジェシカを慰めるのだった。
母娘ともに、今日の結果が不安でたまらなかった。
Menu Page | Next Page |