巴里の憂鬱・第一章
父親の再婚




1944年の夏の日、パリの街は歓喜にあふれていた。ナチス軍の占領から解放されて、再びパリに平和の日々が戻ったからである。ナチスの国旗は焼き尽くされ、敵の兵士たちと情交した若い娼婦はパリ市民に酷くリンチを受けた。殴られ、頭を丸刈りにされ、顔にはナチの鍵十字を書かれた。涙を流す美女たちの横にはピストルを突きつけた市民が笑顔で解放の喜びを味わっている。
そのときのパリの異様な空気は戦争が人々の心にもたらす嗜虐性を如実に表わしていた。


全ての市民が終戦を喜んでいたわけではない。なかにはナチス兵に恋をした多感な少女たちは兵士たちとの別れを密かに嘆き悲しんでいた。
 

パリ郊外の小さな町・ネテルにひときわ美しいモダンな一軒家がある。その二階の窓からひとりの少女が涼しい風に髪をなびかせ、遠くを見つめていた。 ソフィ−という名前のこの少女もナチスの美青年、アルバ−ト・シュナイダ−と恋に落ち、終戦によって引き裂かれた青春を悲しんでいた。何も娼婦たちのように情交したわけではない。たった一度だけ、ブロ−ニュの森で強く抱きしめられ、キスしただけのことだった。

しかし、わずか一ヶ月のロマンチックな恋物語は少女の心や生活に大きな変化をもたらした。恋煩いで勉強のほうはまったく身が入らず、成績は下がる一方だった。


今日は夏休み前の終業式の日。
アルバ−トと並んで撮った一枚の写真に頬ずりしながらも、机の上にある「成績通知表」が気にならないはずはなかった。


「 ああ、きっとひどく叱られるわ。神様、お願い、助けて 」

少女は深くため息をついた。

しなやかな髪。長い睫毛と魅力あふれる美しい瞳。品性ある整った顔立ち。それは見る人をうっとりさせるほどの美少女だった。戦時下で女に飢えた若い兵士がこんな美少女に眼をやれば放っておくはずもなかった。しかし、いまとなってはそれが不幸の種を蒔いただけだった。

階下では幼い弟のミシェルが母親に大声で叱られていた。恐らく彼も成績が悪かったのだろう。やがてミシェルの泣き叫ぶ声と「パン、パン」とリズミカルのある音楽が流れてきた。ソフィ−はそっと眼を閉じた。ミシェルはズボンを下ろされ、母親の膝の上にうつぶせに抱き上げられている。そして母親の憎らしい平手が彼の小さなお尻を容赦なく、叩きつけているのだ。

それはまるで現場に居合わせているかのようにはっきりと瞼に光景が浮かんでくるのだった。
そしてお仕置きは延々と続けられる。小さなお尻が火のように真紅色に染まるまで。

ソフィ−は想像する。長く続いたお尻の音楽はやがて終わり、暫く沈黙の時間が流れる。ドアが閉まる音。そして階段を上がってくる母親の足音。ソフィ−の部屋のドアが開かれる!この世で最も恐ろしい母親の形相!


「 ああ・・ 」 

ソフィ−は身震いした。

「 神様、どうかこの哀れな少女をお助けください 」

ソフィ−は恐怖のあまり、両手を合わせて哀願した。

しかし、十八歳にもなった大きな娘がどうしてこんなことで怯えるのだろうか? 
それはソフィ−の生い立ちと特殊な家庭環境が原因だった。

ソフィ−は1926年、パリで二枚目の映画俳優、ロペス・シュトラウスとパリのファッションモデルだったシルビ−・ピエ−ルとの間に生まれた。品種と生産地に恵まれていれば、良質の実が熟すのは当然のことだ。小さい頃から美しかったソフィ−は人も羨むほど美しい娘に成長していった。夫婦仲もよく、明るい活発な家庭がそこに築かれた。しかし、不幸とは突如として不意に訪れるものだ。母親が不慮の交通事故により亡くなってしまったのである。ソフィ−がまだ十歳のときだった。

最愛の妻を亡くした夫は仕事にも身がはいらなくなり、また若手男優の台頭も著しく、仕事はめっきりと減ってしまった。やがて生活苦に陥り、ひとり娘の養育費にも困る環境に落ちぶれた。

そんな失意のどん底にあったある日のこと。パリの小さなカフェでひとりの女性と知り合った。マルセイユの小学校で教鞭をとっていたマクシミリアンだ。これが現在の母親、つまりソフィ−からみれば継母となる人だ。彼女は離婚したばかりで、ミシェルと名付けられた赤子を抱えていた。短い交際の末、彼らは再婚することになった。

ロペスは好きで結婚したのではない。彼には思惑があったのだ。それはのちの「パリ陥落」で暫くナチスに没収されることになるのだが、彼女の老父がポ−ビ−ニ地方に大きな工場や含み益をもった土地を保有していたからである。そのひとり娘のマクシミリアンに莫大な財産が引き継がれるのは目にみえていたのだ。彼女と結婚すれば、裕福な家庭生活は約束されたようなものだ。タイミングよく買手に渡せば、売却益も手伝って大儲けできる。二枚目映画俳優であった自負は彼女の財産を共有することで夫婦均等の立場になれるのだと傲慢な解釈をしていたのである。

さて、マクシミリアンとはどんな女なのか。パリでは知る人ぞ知るだ。マルセイユの市民からは教育熱心な厳しい女性教師として専らの評判だった。彼女の指導を受けた子供たちはみんな成績が上がり、お行儀のいい子供に成長した。それだけに彼女の指導力は教育界から高く評価されていたのだ。当時はまだ保守的な親が多く、子供の体罰もかなりおおっぴらにやられていた時代だから、マクシミリアンのような厳しい教師は教育者の模範だった。

ところが実のところ、彼女には隠された性癖があった。これは大変な悪趣味だった。その彼女の隠された趣味とは一体何か?


それは少女のお尻をたたくことだった。


「しつけ」という大義名分のもとに多くの少女たちが彼女の膝の上で悲鳴をあげたものだ。彼女の好物は身なりのきちんとした、育ちのいい、美しい白人少女だった。もちろんスタイルが良ければ尚更、好まれた。

彼女はそんなお気に入りの少女を特別に厳しく罰し、また特別に可愛がった。この道を永く実践するためには「飴と鞭」を上手に使い分けることが基本であることを心得ていたからだ。また同性であることは特殊な性癖を悟られずに済む格好の理由となった。

かくして、教師生活の十年間は成長していく少女たちのお尻を賞味しながら自分の性癖を満足させることに成功した。

しかし、この楽しみは十一年目にして幕切れとなった。それは欲情を抑えることができなかったために生じた自爆行為だった。
最もお気に入りだった発育のいいシャルロットという十二歳の美少女を気絶するまで手酷く罰してしまったからだ。美少女のお尻は無残にも腫れ上がり、シャルロットはショックのあまり、暫く口も利けないほどに落ち込んでしまったのだ。

怒り狂った両親が学校に抗議に押しかけた。そして「裁判を起こす」とまで騒ぎ立て、結局は示談で話がまとまったのであるが、マルセイユの町に彼女の悪評が浸透したのは当然のことだった。そして逃げるようにパリにやってきた彼女は例のカフェでロペスとの出会いを果たす。

ふたりが結婚したのは1938年。ロペス四十歳。マクシミリアン三十五歳。そしてソフィ−が十二歳のときだった。
初めてソフィ−を紹介されたときの彼女はきっと悪魔的な微笑みを浮かべたことだろう。過去十年間、数多くの美少女に出会った彼女もこれほど美しい少女を見たことはなかった。その端麗な容姿はもちろん、年齢のわりには随分と早熟で、父母譲りの見事なスタイルをしていたからだ。学校では十二歳で少女たちは卒業していってしまう。これからが本当の楽しみであるという時にだ。

しかし、この結婚によって、娘の成長を日々、賞味しながら最も食べ頃の季節に性欲を味わうことができる。
しかも夫のロペスからは「娘を立派に成長させるためには厳しいお仕置きも止むを得ない」とお墨付きをもらっていたのである。またそのことを娘に話しているというのだから、すでに環境は十分に整っているのだ。




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