☆老紳士と娘☆

教育書の罠


長年、断っていたワインを再び飲み始めたのはこの頃だ。
毎晩、ほろ酔い気分で好きなジャズピアノを楽しみながら、娘との会話を思い出していた。

わたしはすっかり若返り、幸福だった。

しかし、幸運な日々がいつまでも続くはずはなかった。春休みも終るころ、娘からいつもの報告を受けたわたしは、落胆していた。


「 おじさま、びっくりしないでね、今日はいい報告なの。あたしね、お仕置きから解放されたのよ」

「 本当かね? でも、急にどうしてだい?」

「 それはね、ママがあたしの罠にひっかかったからなの。あたしがどうして毎日,ここまで足を運んでいたかわかる?」

「 本が好きだからだろ、それにお仕置きの報告をして、わたしに相談するという目的もある」

「 それもあったわ。でも、ほんとうは教育関係の本を片っ端から探してたの。もう、時代は体罰禁止の方向で進んでいるでしょ。図書館に置いてある本だって、体罰を否定するものばかりだわ。だから、できるだけ説得力のある本とかページを見つけて、家に持ち帰るのが目的だったの」

娘の話によれば、母親はそれを読んでいるうちに、自分のしつけ方の非を悟ったというのだ。

なかには、〔厳しいしつけは非行の原因になる〕とか、〔十八の娘が母親のスパンキングを苦に自殺した〕といった生々しい記事まであったらしい。


「 しかし、ママはリンダちゃんが、そんな本を借りてきて、変だとは思わなかったのかね?」

「 そんなことないわ、だってママに手渡したりしないもの。そっと机の引き出しに隠しているふりをしてたの。ママがいつもあたしの引き出しを開けているのは知ってたから」

「 ほう〜、それは随分、うまくやったもんだね」

「 そうでしょ。印刷された活字は口頭よりも説得力があるのよ。読んでほしいページには枝折を挟んでたわ。それを読ませて、古くさい教育を改めさせてやりたかったの。少なくとも、あたしがそれで悩んでいることをね。大人なんて、子供の悩みには弱いんだから」

娘はわたしが思っていたよりも、ずっと賢いようだ。

しかし、わたしはこの日から娘がしだいに、だめになっていかないかと案じた。

何故なら、若い娘たちは自分の非力を悟り、羞恥の感情を知っているときこそ、最も美しいからだ。
 

その翌日から娘は図書館に姿を見せなくなった。目的が達成されたいま、わざわざここまで足を運ぶ必要もなくなったのだ。

わたしは、深い孤独感に襲われた。そして、急速に老けていく自分を体で感じた。

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